新しい日本人像ということ
今日は僕が新しい日本人像と言っている概念について、そのイメージを簡単に書いてみる。少なくとも、戦後の日本人の言動は、なぜにこうも、幼稚で、お人好しで、感傷的であるかということは、僕にとって既に40年余、つまり青年時代から気になってきたことであった。女々しいというか、曖昧に過ぎるというか、殆ど何も考えていないとしか思えない言動に満ちていたと思う。そのために、北から南から、領土はかすめとられるわ、とられそうになるわ、漁船は撃たれるわ拿捕されるわ、領海領空侵犯は日常茶飯事、警察官は殺されても犯人は大事に保護されるわ、つい数年前まで、小学校の運動会の徒競走は5,6人の児童が手を繋いでゴールインするという話まであった。中高の通知表でクラス全員がオール3という話もある。馬鹿馬鹿しいというより、狂っているとしか言いようがない。
僕は、昭和43年に公立高校の教壇に立ったが、すでにその頃も、学校を休んで成田闘争に参加したという生徒を巡って、「生徒にも思想信条の自由がある」と言って、当時組織率100パーセントという状態にあった日教組の教職員が、皆処分に反対し、管理職はどうにも出来ないということもあった。僕はまだ新任ホヤホヤの教員であったが、強行に処分を主張したが、70数名の教員のうち組合員でなかったのは僕だけであった。中には、当時制帽をかぶるのが規則であったが、生徒に「何のために制帽をかぶるのか」と訊かれて、「いや、何か上から落ちてきたときの安全のため」とか言って、「答えに困った」などという馬鹿みたいな教員もいっぱいいた。あるいは、教員の研修だと言うことで大学から講師を迎えて、校長から「今日の先生は教育学の専門家で」と紹介されたその教授から「生徒の中にある、どろどろしたもの、言わば様々な悪徳を、素直に自由に出させてやることが大事なんです」などという低脳児のような教説を聞かされ、「それがプラトンの言う産婆術なんです」というおまけまでついたものを長々と聞かされ、その後で何か書けと言われたから、「こんな無意味で、愚劣な時間を今後はつくらないでほしい」と書いたのを覚えている。一事が万事、マスコミを含めて、政治、思想、教育など、あらゆる世界がこういう狂った時代がずっと流れて、すでに40年余になる。金属バットで父親が殴り殺されたという事件が起きたのも、昭和40年代のことである。
昔から島国根性と言われ、国境を他国に脅かされたり、侵攻を受けたりしたことのない日本人には、言わばどうしょうもないところがあるということは、しばしば言われてきたことであり、そういうことが日本人の人格形成や文化、感性に多大な影響と根拠を与えていることに間違いはないが、かと言って、これだけグローバルな時代の中にあって、そんな言い訳ではすまされない難問に直面しているのもまた確かなことであろう。同一人種、同一言語、同一と言っていい宗教、と見てくれば、確かに世界に希有な国であることも事実である。自己主張をせず、控えめで純朴で、譲り合い親切で、礼儀正しいと。
それが日本の文化であり伝統であり感性であるから、それを守ってみんなで溶解し、滅んでゆくのか。しかし、それにしては、モンスターペアレントを初め、モンスター何とかが、あちこちで新種を伴いながら増殖、発生していくのは、一体何なのか。僕は学校にいたから言うのだが、校長は、いつも謝っている。謝らなくていいところで謝っている。その同じ根性が、あったことをないと言い、知らない、分からない、と小沢みたいなことをいつも繰り返す。一体、生徒間の出来事が、すべて学校の責任なのか。いじめなども、一義的にはいじめた当人とその家庭の責任である。背負えもしない責任を背負っているような振りをしているから、事が面倒になるのである。生徒は大人の嘘に実に敏感なのだ。知らぬは先生ばかりだ。僕は、明らかに学校側に非があると思ったある事柄を除いて、最後まで謝らなかった。実はモンスターがいるのではない、校長を初め、教員がモンスターを製造しているのであって、単に相手は子ネズミに過ぎないというのが僕の体験である。父兄を叱り飛ばしたこともある。では、今、日本中で起こっている、一連の不祥事とは何なのか。
なぜ謝るのか、なぜ引き下がるのか、なぜ打って出ないのか。いつもそう思いながら、外人には騒音にしか聞こえないという秋の虫の声に耳をすまし、上る月や流れる渓流に限りない憧憬と感動を覚えるこの自分とは何なのか。何かおかしい。どうあれば、しっくりした自分でいられるのか。「新しい日本人像」とは、そういうところから見えてくる、自分自身に他ならないのである。


コメント[2]
どの世界もおかしいことだらけですね!どの世界も・・。
理屈や筋の通らないことが当たり前になっています。
最近思います。
一度、大きな痛手を負わないとわからないんではないかと・・・。
ならば、痛手を負わせる方法はないかとまで考えてしまいます。
Posted by 川崎の甥 at 2010年2月 8日 19:15 | 返信
川崎の甥さんのコメントへの返信
無沙汰しています。コメントありがとう。気づかなくて失礼しました。本庁も小沢の暴言に抗議したらどうですか。公衆の面前で、国旗を踏みたくる以上の、国家に対する侮辱だと。象徴とはそういうものです。
Posted by 木端天狗 at 2010年2月17日 14:27 | 返信
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