2009年3月 1日

天狗の話

 今日は天狗の話を少ししてみよう。と言っても、僕自身天狗になる修行など一度もしたことはないから、伝聞になるが、ただ霊的な問題なら多少の心得もあるので、絡めながらの話と言うことになるだろう。その筋の人の話によると、世に天狗や仙人を志す人はそれなりにいるようである。ただその道は言語を絶する過酷なものゆえ、めったやたらにそんな考えを起こすものではないとは、その人の警告である。ちょっと申し添えておくが、だいたいが僕は疑い深い方なので、「その人」と言っている人は、そんじょそこいらでお目にかかれるような詐欺師ではない。僕はその人が書いた薄い本をある方法で試験をしたことがあるが、今でもまず間違いないと思っている。
 今その種の資料が手元にないので、物忘れが多くなった頭にほのかに残っているほんの幾つかの話で申し訳ないが、まず承知しておくべきは、この人間界が一番楽しくていい、他の世界を望むのは愚の骨頂だと言うことだ。こういうもの言いは、ものを考えたり、ものの真贋を見極めたりする上で、大変貴重な言い方だと僕は思っている。
 今大流行のオレオレ詐欺だのという馬鹿馬鹿しいと言うのももったいない珍現象は、ここまででなくとも、20歳を過ぎた人間として自ずから弁えておくべき最低限の判断力の決定的欠如に由来する。とは言え、年間2百数十億という大金を吸い取られる状況には呆然とするしかない。誤解のないように言っておくが、僕は、たとえ子や孫でも、電話で100万円を無心されて送金することなどあり得ないということを言っている。家に帰って、手をついて細かく経緯を説明して頼む、それでも僕は出さないことも大いにあると。
 

 いや、横道に逸れたが、金の詐欺より、宗教がかった詐欺は更に始末が悪いのでつい。
 さて天狗にも実に様々な階層、身分がある。と言っても、この人間界のように、実力と何の関係もない階層ではないゆえ、これはむしろ健全そのもというべきだろう。ゆうゆうと飛行できる者もいれば、100メートル飛ぶのがやっとというのもいる。いや10メートル足らずの岩から飛び降りて足を挫く者もいる。ここである。ごく普通に見かける山の斜面を猿のように登る訓練から、数メートルの岩を飛び降りる訓練など、最初の試しで、飲まず食わずで、この手の軍隊の訓練のようなものは、入門の試験ですらないそうだ。
 仙人の糞は無臭だという。なぜか。山の好みしか食べぬからだ。しかも数日おきに。天狗にはそうして人間から必死の修行でようやくに仲間入りした者から、体に羽をもった天狗もいる。これは古く格別に歳を経た鷲のようなものが次第に変化してなったものだという。彼らは不思議にも、人間の言葉を全て解する。この霊的なものが、言葉を解するというその方法には、おもしろいことがあって、これには伝聞で得たものと、現に実体験したといっていいものがあり、これが符合しているのである。さらにこれは、物理学的に愉快な説明があるのではないかと、かねて思っているのだがどうだろうか。
すなわち、互いに声を出さないのである。空気の振動によらずに会話をするのである。脳から脳へ、念から念へ。さてこれはいかなる方法をもって伝達が可能になっているのであろうか。実は僕は、霊も物理的、物的存在だと思っている。あるいは霊とは、記憶であると。などなど、勝手なことを書いているとキリがないから。つづきはまた。

コメント[1]

見えないものの働き・・・・お伊勢さんは戦後で一番多い参拝者数と漏れ承っています。
天狗さまは、人の過ちをどのように見ていらっしゃるのでしょうか?
小さな頃よりお天道さまがみてござる。悪いことはできませぬぞと教わってきましたが、世の中は、そんな気もさらさらないような気がしてなりませぬ。

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