2012年3月18日

春雨か  枯れた櫻に  雀ひとつ

 春雨か  枯れた櫻に  雀ひとつ
 二月の下旬であったか、小雨の中を散歩していた。ふと、疎水沿いの櫻の枝に、小雨に濡れて雀が一羽身じろぎもせず止まっているのに気づいた。

 春雨と言うにはまだ寒い。そぼ濡れる雀は生きてはいた。
 寂寥か、孤独か、哀切か、寂寞か、残酷か、また超然か。

 老いゆく身に、その姿がいとおしい。感傷という名の感動が、その時もっともみずみずしい。

 老いたら死ねばいい。治療などただ残酷なだけだ。それは健康な者の勝手な思い過ごしに過ぎない。黙って死なせてやればいい。

 余計なことはしないがいい。老いた者が死んでゆくのは自然なことだ。引き留めたところで、皺一つ減るものでもない。

 延命治療という名の傲慢。悪あがきか、執着か、未練か、業か。

 何にそんなに固執するのか。やはり美しさでは若者には叶わない。
 覚えているか、乳飲み子のあのふくよかなみずみじしさを。飛び跳ねる若者のはなやぎを。

 さからわぬことだ。抗わぬことだ。老けてゆくおのが身の衰えに。天の摂理に勝てるはずもない。

 いま人は、余りに長く生きすぎている。若い命のために、老いたものは死んでゆくのがいい。老いたいのちが、若いいのちを削ってはいけない。

 老いには、それにふさわしい形がある。

2012年3月17日

    T君へ

 海辺。小さな掘っ立て小屋がある。
 背景に白く逆巻く荒い波、曇天の砂浜に、海産物でも干すのか、4,5本の細い柱、その一本に寄りかかる、粗末な着物の娘。
 風が吹き、波が立ち、足首の出た村の娘の顔にほつれ毛がまといつき、浅黒く汚れて無表情な顔が貧乏を語るが、娘の顔は美しい。
 娘は、ときおり意味もなく、右に左にふらふらとうろついては、また柱に寄りかかっては海を見ている。娘がこよなくいとおしい。
 
 何のことはない。テレビドラマの「座頭市」の一場面だ。ところがそこに、恐ろしいほどのリアリティを感じてしまう。

 いつの頃からだったろうか、田舎道を歩く一人の若者、町の裏通りをゆくサラリーマン、いや、雪の朝、立っている廊下の冷たさ、あるいは部屋に差し込むもの憂い朝の光、それらが妙な既視感をもって僕の心をゆさぶる。
 「妙な既視感」っていうのは、「ああ、こんな世だったんだ」「人間の世界ってこんなものだったんだ」と。

 僕は多分、臨死体験をしてるように、そんな場面、場面の中にいる自分を見ている。そんな時、僕はひどく身につまされて、親が死んでも兄弟が死んでも泣けなかったのに、ジーンとして涙が溢れてくる。

 この世を、あの世から見ているような感覚。意味もなく生まれ、意味もなく生き、意味もなく死んでゆく。

 人はこの寂寥感を埋めようとして焦るのか。地位や名誉や財物で。
 しかし人は、あの流浪の貧乏娘のいとおしさを超えることはできない。

 悠久の時間と空間の中で、人はただいとおしいものだと分かればいいのかも知れない、

2012年2月13日

言葉は国のいのちです

 ここ数十年、テレビを視ていても、新聞を読んでいても、もうまともな日本語を話す人は、希少価値になっているんだという思いが強くなっていく一方だ。
 例えば、やたら滅法に「させて頂く」と言う。「感謝させて頂きます」「お願いさせて頂きましたら」「申し上げさせて頂こうと考えさせて頂いております」などと、もう頭がクラクラするようなことを言う。

 「これを是非娘に上げようと思って」「夫に持たせて上げようと」などは100パーセント。「主人にお話しさせて頂いたんです」もしょっちゅう。

 全国紙の新聞でも、
 「カダフィ政権が反体制派の本拠地を<陥落すれば>」
 「<やまぬ>各国の支援」
 「管理能力の弱さが<露呈された>」
 「<希有に近い>転変地異」
 「アフガニスタン戦争が<佳境を迎える>中」
 「<例えようのない波紋>が広がっている」
 「安全軽視の<発想>が大惨事を招いた」
 「~を狙う思惑が垣間見ることが出来る>
 「山岡委員長が政務秘書官を<交代していた>」
 これがプロの記者の日本文である。

 最高学府を出ている政治家のインタビュー、国会答弁で、一問答を無事に終えられる人は、希である。
 しゃべりのプロ、アナウンサーがまたひどい。  
 子供達はもう、家庭でも学校でも、まともな日本語に出会うこともないらしい。
 小学生の孫の担任が初めて家庭訪問に来たときも、初対面の嫁に対して、タメ口をきくのを聞いてしまった。後で聞くと、中年のベテラン教師だという話であった。しかも女性教師である。
 

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2012年2月 7日

「子供は社会で育てる」って?

 10年ほど前、義父の入退院の世話をしたことがある。太股からカテーテルを入れて、心筋の狭窄部に管を埋め込むという手術であったが、退院時、窓口に精算に行って驚いた。
 2週間足らずの入院で済んだとは言え、それだけの手術を受けて、請求額は1万6千円余り。義父母の年金は、月額30万円は超えていたらしい。 


 大きなザルのような財布を持って、「不退転の決意」をもって増税するとのたまう。ザルの目からは、ザァーザァーと湯水のようにお金が流れて行くのが見える。
 あ~あ、いつになったらこの夢遊病からさめるのだろう。
 頼みもしないことを次から次へとやって、危機だから税金を出せと言う。
 
 誰が僕らの子供を国で育ててくれと言った?
 誰が高速道を無料にしろと言った?
 誰が授業料をタダにしろと言った?
 
 もう今では誰でも知ってるのだ。先進国だなどという言葉に酔ってたら、政府はどんどん肥大して、それに反比例して国力はどんどん衰弱していくということを。
 こんなことを「不退転の決意」をもってやられたら、もう国外へでも逃げ出す他なくなる。

 もう僕は40年前から言ってるんだ。国は余計なことをしないがいいって。国民は自分のことは自分でするようでなきゃあ駄目になるって。
 
 僕は40年前に日教組に言ってやったんだ。「賃上げ賃上げって騒ぐけど、あんた教員の給料は安いって知ってて教師になったんだろう。嫌なら銀行か商社マンにでも
なりゃあいいじゃないかって。僕は知っててなったんだから騒がないって」。
 新米教師だった僕に、先輩教師は烈火の如く怒ったが、もう10年もすりゃあ分かるようになるだろうって高をくくっていたが、飛んだ見当違いだった。40年真っ直ぐに突っ走って、病は膏肓に入っちゃった。

 でもおかしいよな。あれほど自由、自由って言ってるくせに、どうして自分が自分の勝手で生きてるってことが分からないのかねえ。彼らはいつも誰かに頼まれて生きてるような顔をしてるんだよな。彼らの信仰対象は「自由と権利」という言葉だったらしいけどね。

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