変人
日本語の変人という言葉には肯定的ニュアンスは皆無と言っていい。連帯を一番とするこの国では当然なのだろう。選挙しかり、会社しかり、全ては村意識でことが決まる。開票率1パーセントで当確が打てる国も珍しかろう。一票の重みなんて悪い冗談だ。学校にいたとき、日教組の役員に、組合なんてまるで軍隊だね、と言ってやったら目をむいて怒っていたが、上意下達、上の指令には見事な服従を見せる。僕は組合に入らなかったから、村八分にあった。賃上げストを一緒にやろうと言うから、俺は給料が安いと知って入った、あんただって知ってただろう、気に入らなきゃあ証券会社にでも職替えしたらどうかと言ったら獣のように吠えたっけ。
アウトサイダーという本があった。確かコリン・ウイルソンだった。実存主義者を中心とした規格外人間を辿った本だった。いやあ、僕は変人ともアウトサイダーとも思ったことはなかったが、村意識を押しつけられることだけには辟易したねえ。自分ではよくつきあったと思っているんだけど、やっぱり村からこぼれちゃう。これはもう仕方なかった。自分という人間のつくりが規格外だったのかしら。個性を育てるなんて埒もないことをいうけど、個性なんてなければそれにこしたことはないさ。どんなに楽か。人に合わせることがどんなに苦痛なことかを知らない人間に限って、個性だの孤独だのという言葉を、楽しげに弄ぶものだ。孤独とは、決して出て行ってはくれない魔物を、自分の中に背負い込んだもののことだ。これは一生ついてまわる。恐らく、朝起きたときから、見えてる景色が違うのだ。僕は、いまだに故郷という言葉になじめない。よく聞く、ふるさとという語感が、僕には欠けている。だから、間もなく死ぬんだろうというこの歳になるまで、同窓会と名の付く会にいっぺんも出たこともない。どんな顔をして出ていけばいいのか、どんな話が出来るかしらと思うと、どうしても出る気になれない。今でも毎年のように、そういう類の案内状が来るが、全て欠席に丸をつける。近況もない。

