2010年6月24日

三たび島津亜矢

  春にこのブログに書いて以来、YouTubeにアップされている島津の歌は全て聴いてみた。手前味噌な言い方ながら、やはり彼女の魅力は、その天賦のと言うべき声の質にある。あの哀切に満ちた、独特の艶のある声は、余人には出せぬ声だ。
 「お島千太郎」などは、オリジナルとは全く別の歌だ。まるで違う舞台を創っている。台詞も違えば、お島と千太郎の人間関係もまるで違っている。これは、歌唱力の優劣の問題ではないが、ただ聴く者の感情に入るものが大きく違ってくる。
 僕が、ひばりのことをどうしても好きになれなかったという所以である。確かに不世出の天才だったのだろう。船村徹氏が、初めてひばりに会った時、「これは大変なことになった。これからどう付き合っていけばいいのだろう。まるでブラックホールに吸い込まれそうな思いだった」という話をしているのを聞いた。
 ひばりは新しい曲を一回弾いて聞かせたら、船村氏が思っていた通りの世界をすでに自分の中に創っていたと。あるいは普通の歌手が何回も何回も繰り返すレッスンを、ひばりは1回か2回で終わったと。
 船村徹という大御所の述懐である。
 しかし、僕は、故意にひしゃげるような声を出したりする、あの発声法からして好きにはなれなかった。何より、僕には心に響いてくる何もないのだ。天才というなら、僕には、才に任せた、あるいは歌の巧者、上手と言うべきか。とは言え、心に響く歌を歌う歌手がそうざらにいるわけではないが。
 戦後60余年、歌謡界の実力者を一人挙げよと言えば、殆どの人が躊躇なくひばりの名を挙げるのであろうから、僕は甚だ肩身が狭いのだが、人にはそれぞれに微妙に違った心の波長があるのだろうか。

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2010年6月18日

海外に出て知る日本への高評価

 標記のタイトルは、筑波大学名誉教授である村上和雄氏が、去る6月14日付け産経新聞の正論欄へ書かれた論稿であるが、僕は前々から、今日本で一番まともな論調を持っていると思う産経新聞が、案外に読まれていないことを、転勤の度に思い知らされて来たので、ここに転載したい。この話は、他の著書や産経新聞でも過去何度か目にしたものでもあり、よく知られた話とは思うが、例えば読売の発行部数{2007年}約1000万部に対して、産経は約200万部というデーターを見てあえて転載したいと考えた。少し長いので、要所をのみを転載する。
 
 教科書に載るトルコ人救助
 トルコは現在、大変な親日国であるが、そのきっかけは、今から120年前にさかのぼる。明治23年、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が初来日し、明治天皇に拝謁後、帰途についたとき、和歌山県串本町の大島沖で台風のため座礁沈没した。
 その際、大島の島民総出で必死の救助活動が行われた。この日本人の献身的救助活動は、トルコの小学校の教科書にも記載されており、今でも広く国民の間で知られている。
 そして、生存したトルコ人を、軍艦でイスタンブールまで送り届けた軍人の中に、日露戦争の日本海海戦で参謀として大活躍した秋山真之もいた。
 トルコ人の救出から95年もたった1985年、イラン・イラク戦争中に、イラクのフセイン元大統領が「今から48時間後にイラクの上空を飛ぶ飛行機は民間機でも撃墜する」という声明を発表した。
 当時の日本政府は、急な事態に対応が遅れた。その時、時間ぎりぎりにトルコの民間機が、テヘランに取り残されていた在留邦人215名全員を救出してくれた。
 外務省が問い合わせたところ、トルコ政府は、「私たちはエルトゥールル号のことを忘れてはいない。だから、日本人が困っているのを知って助けに来た」と答えたという。私はトルコと日本の実にすばらしい友情物語を知り感動した。
        中略
 一方、日露戦争は、帝国主義時代に、アジアの小国であった日本がロシアの南下を食い止め、国家の安全と独立を保ったが、この勝利は日本だけでなく、世界にも大きなインパクトを与えた。
 その一つがロシアの脅威にさらされていたトルコであった。日本の勝利を喜んで、イスタンブールの街では、息子や孫の名前を、東郷平八郎元帥や乃木希典大将にちなんで「トーゴー」や「ノギ」と名付け、「トーゴー通り」ができたほどである。私たち日本人は、案外このような事実を知らない。
 そして、トルコ人は今でも、日本人が好きで親近感を示すのを今回の船旅で実感した。

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2010年6月12日

無神論者だって

 「僕は無神論者なんだ」って、気障な男がよく言う。「神なんて結局人間の観念の産物でしょう」って、インテリ女が物知り顔をする。
 こういう手合いほど始末に悪いものはないねえ。こういう人種に限って、バラバラに破いた新聞紙のように脈絡もない知識の切れ端を一杯溜め込んでいるもんだ。
 自分では、一度として、何も考えた事もないのに、それと気づかない。
 「君ねえ、君が今どれほど根拠のない事柄をどんなに沢山抱え信じて暮らしているか、考えたことないかい?」
 学生時代だった。日光に遊びに行ってね、友人が日光駅まで車で迎えに来てくれたんだ。
 当時第2いろは坂がやっと完成してね、車だってそうそう気軽に買えない頃だったし、友人は格好いいだろうとばかりに、結構なスピードでぐにゃぐにゃと重なるカーブを上って行った。もう夕暮れだった。
 いろは坂が一本しかないときは勿論上りと下りが対面して走っているから、いろは48あると言われたカーブは結構危ないものだった。僕はその一本の頃も知っていた。
 ところが第2いろは坂が出来てからは、第2の方は、上りの車しか走らない。上から対向車が下って来ることは絶対ないって、そういうことになっていた。ルールだ。
 「君ねえ、いま対向車が下りてきたらどうする?」
 「なに?、ハハハ、変なこと言うなよ。こっちは上り専用なんだ。」
 「そりゃあ知ってるよ。でもさ、もしもってことがあるだろう、人間だって変な奴 がいるしさ、中にはわざとルールを破るやつだっているだろう。」
 「そりゃあなあ、狂人はいつの時代だっているさ。そんなこと考えてたら何もでき ないぜ」
 「狂人ねえ。狂人ってなんだろうねえ。」
 「またまた、君はいつもそうやって埒もないことを意味ありげに言うんだ。」
 「埒もないことかい?」
 「もういいよ」

 「君、いま貯金幾らくらい持ってる?」
 「そうさな、5,6百万ってとこかな」
 「どこにあるんだ、ちょっと見せてよ」
 「いや、ここにはないさ」
 「どこにあるんだ?」
 「銀行に預けてあるさ」
 「銀行に?」

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2010年6月11日

爛熟の不幸

 僕は昔から時代劇が好きで、今でもよく視る。その中で、旅をする人や風景が出てくると、いま自分が生きている時間や空間とまるで違ったそれを強く感じるのだ。時代が違うと指摘されるなら、それは違う。人間が生きている感覚がまるで違うと言ってるのだ。
 僕も含めて慌ただしく生きている現代の人間には甚だ伝えにくい感覚なのだが。
 乗り物もなく、電気もなく、グルメもなく、ほとんど無い無い尽くしの生活なのだが、恐らく何の痛痒も感じてはいない。無論美味しい酒にありつけば喜ぶだろうし、綺麗な着物を手にすれば女性は嬉しいだろう。
 当たり前な話だというなら、彼らは嬉しいこと、喜ばしいことを、僕たちよりも何十倍も沢山もっていることは確かなことだ。
 一日に、10キロも20キロも歩いて、古びたせせこましい宿に入って湯に入り、2,3合の酒を飲んで、すっかりいい気分になって煎餅布団にくるまって寝る。
 彼らは満足している。あるいは足りないものを感じてはいない。お望みなら、彼らはもっと美味しいものや豊かなものを知らないと言ってもいい。知らないってことは、存在しないってことだ。無論古くて新しい、例のありきたりの命題だ。
 ただ、そこで止まるから何も見えてこない。賢しらに、時代が違うんだよって、分かったような顔をする。
 もちろん知足だの、贅沢を言えばキリがないなどという、教説のことではない。
 僕らは一体何がほしいのだろう?って思いに身につまされる感覚に陥るのだ。僕らは一体どこに向かって歩いているのだろうって。そう、それはもう大昔から大勢の人によって、繰り返し考えられて来たことだ。
 だが、その思いは決して片が付かない。いつの時代も、どんな時代にも、変だ変だと思いながら、一向に片が付かない。

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