「自分を律すること」と「自分の境遇に甘んじてしまうこと」のハザマにさまようココロ

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 私は「パニック障害」と「自律神経失調症」という病気を患っているわけだが、発症してからかれこれ4年は経過しようとしている。発症当時に比べると、ずいぶんと体調も良くなって来ており、またココロの具合も比べ物にならないくらい回復していると言える。
 2年前であろうか、今の職場はこの病気に関して理解をしてくれており、他のパニック障害者の方々からよく聞く、「職場で理解されていないので苦しい」という状況にはないことは、とてもありがたいことだと思っている。さらに、うちの部の部長は真剣に回復のことを考えてくれていて、これからの、病気を踏まえての仕事の進め方や職場への完全?復帰を目指してのビジョンをしっかり持ってくれている。これも私にとって非常にありがたいことであり、また心強い。
 それで、そのビジョンの中の一つとして、「規則正しい生活することをまず基本としてやってみてはどうか?」と提案してくれた。なので、今は深夜勤務と宿泊勤務はしない、という勤務制限もかかっているくらいである。

 他の人から見れば、「規則正しい生活なんてあたり前じゃないの?」と思うかもしれない。

 しかし、そうだろうか?

 今、毎日、朝決まった時間に起き、夜は夜更かしをしないできちんと寝る、という生活ができている人はどれくらいいるのだろうか?
 私は、この規則正しい生活。たかがそれだけかもしれないが、それが人間の体にとって非常に重要なファクターであることをいまでは痛感している。

 私の自律神経失調症という病気は、不規則な生活やストレスが自分の限界を超えてしまったことによって発症し、その延長線としてのパニック障害がある。パニック障害も、それそのものがストレスが原因であると考えられており、自律神経のバランスが崩れた極度な状態のときにパニックが起こると言われている。

 なので、この病気を治す=規則正しいをする、といっても間違っている訳ではない。それを上司は進めてくれた。なるほど、と思った。

 私の職場は9時30分が朝礼の時間であり、深夜勤務や宿泊勤務がない今の私に取って、その朝礼にきちんと出ることがとりあえずの朝の規則的な行動となる訳である。
 しかし、自律神経は起きてからいきなり普段通りに働く訳もなく、やはり「寝ていた」という安息の状態(副交感神経)から、「働く」という動的な状態(交感神経)へと緩やかに変化していく。その自律神経の調整がうまく行っていない私に取って、朝は本当につらい時もある。
 毎朝、朝礼の9時30分に間に合うように起きる訳だが、つらい時は、行けるような体調になるのに時間がかかり、結局9:30に間に合わない時もあったりする。その場合は、いわゆるフレックス出勤として就労時間を30分とか1時間ほど後ろにスライドさせることになる訳である。だから、1日の就労時間としてはきちんと仕事をしたことになり、さらに職場でもフレックスを有効に利用するように勧められているくらいである。

 そんな、ある意味恵まれた職場環境の中で、本当に体調が悪い朝は本当につらい訳だが、果たして本当に自分の体がつらいのか?と思うような状況の時、自分を律することができなくなっているかもしれないのである。
 つまりは、本当はそこまで朝がつらいという訳でもないのに、「あ、ちょっとしんどいな」程度のことで、「自分は病気なんだから、今日は遅れていってもいいだろう」という発想に至ってしまう訳である。

 これでは、何のために、誰のために、上司が配慮をしてくれたのか?と自分を責めてしまう。自分を律することがとても重要なことだと思う反面、どうしても自分の病気を盾に、「自分に甘えてしまう」。
 妻にもこの上司の配慮のことは伝えてあって、規則的な生活をすることによる恩恵というものを真剣に考えてくれており、一緒になって私の病気からの回復を望み、真剣に私の病気に向き合ってくれている。とても嬉しいことであり、これまた頼もしい限りである。
 しかし、この「自分を律するという自分自身への厳しさ」と「病気である事実に甘んじている」ことのハザマで揺れ動いている自分がここにいるのである。

 自らにむち打つというが、そんな自分を律することの難しさ。

 今、それを日々痛感している。

 いや、もしかしたら痛感しているつもりだけで、結局は病気の自分へ甘えてばかりなのかもしれない。


 私は、このハザマから抜け出すことができるのだろうか?

 自分がなんの病気もない、普通の人と同じ感覚でいられるようになる時が来るのであろうか?


 そんなネガティブともとれる感情に私が捕われる時期があることを、まわりの人は知る由もないだろう。