「8月6日」は誰に何を問うのだろうか?

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今日、平和公園に行った。

主たる目的は「灯籠流し」を見に行こう、というものであった。

 というのも、広島に転勤してきてからというもの、原爆ドームや平和公園は見て回ったことはあるが、原爆投下の日である8月6日に原爆慰霊碑に向かって祈りをあげたり、資料館をみたりしたことがなかったのである。
 ましてや「灯籠流し」というものをしたことなどもなかった。

 ということで、今日は仕事が休みだったこともあり、夕方から嫁と一緒に平和公園へと向かった。

 まず思ったのが、すごい人、人、人である。。。
 灯籠流しが始まる午後7時ごろには原爆ドームのまわりは人でごった返していた。その中には外人も多く含まれている。
 
 そこで思ったのが、

 「この人たちは、ここへ何を思って来ているのだろう?」

 と。

 おそらくそこに来ていた人たちのほとんどが「戦後生まれ」であろう。まぁ自分もその場にいるわけで、もれなく私も戦後生まれである。

 ふと見ると、原爆慰霊碑の前にはすごい行列ができている。そして、灯籠流しの順番待ちも長い行列になっていた。

 彼らは(自分も含めて)、何を祈っているのだろう?。
 

 「無益な戦争はやめて、平和な世界でありますように」


 この願いに決まっているだろう!、と言われればそれまでだが。。。 私も祈りをあげるとしたらその言葉であろう。

 戦争のない世界は人類に豊かな恵みを与えてくれるであろう。戦争が終わり、復興も果たし、不景気とはいえ紛争もなければ、治安も世界的にトップクラスなこの日本。だから、この平和ぼけした時代に、戦争などという無益だと言われる行為に対して異論を唱える人が少なくなっていると言う危惧もある。


 そんな平和な世界で暮らすということに慣れてしまっている人々が、この8月6日に限って、何を祈るのであろうか?


 私はあの長い行列に並んでまで何かを祈る気持ちにはなれなかった。
 
 何を祈ればいいのだろう?

 ありきたりの平和主義を?
 核武装反対を訴えればいいのか?
 米軍基地誘致反対を主張すればいいのか?


 灯籠流しを見たときも、同じような感覚におそわれた。

 なにかの違和感。


 所詮、私も平和ボケしてしまった日本人の一人でなかろうか?

 間違いなく、、、そうに違いない。