ラスト・サムライ

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最近、わが夫婦の共通の趣味である、
「映画鑑賞」をすることにした。

うちの夫婦はなんせ出不精(^^;)

週に1回程度、DVDを借りて、観ることにした。

先日は、「今、会いにゆきます」をみた。


ということで今回は、「ラスト・サムライ」を観た。

 そもそもこの映画は、ハリウッド映画であるが、その割には「武士道」というものをよく描いているなと感じた。
 もちろん主人公は、トムクルーズ
 そのトムクルーズが日本の武士道に触れ、心の葛藤や、変化、悟りなどを描いている。
 
 この「武士道」、いわゆる古来の日本人が持っていた「美徳」というものに当てはまるのではないだろうか。

 ・何を「美」とするのか?

 この映画の中で、敵に敗北し、生きていることは恥とし、自決をする場面がある。それは、敗北しているにもかかわらず、生きていることは美ではないと考えるからであろう。死を選択するということも美となってしまうのである。これをアメリカ人はどう捉えるのであろうか?


 ちょっと物足りなかったかな?と感じたのは、映像である。

 日本の寺をはじめとし、神の場所がたびたび出てくる。この場所は日本で言うところの神聖な場所である。アメリカではアメリカで神聖な場所があるように、日本でもそれに当たる。その場所は、悟りを開く場でもある。座禅などがそれであろう。それは日本で言う「無」の境地であり、それに至るには、座禅やさまざま雑念を取り払う必要が出てくる。別な言い方をすると「瞑想」がそれにあてはまる。
 「無」の境地ということを表現するのは非常に難しいと思われる。ただ単に映像を綺麗に撮っていたのでは意味がない。
 この映画では、その無の境地の場所である部分を、単なる映像美としてしか表現しておらず、日本人の美徳と共に、表現に苦労した?部分であろう。


 この映画で「日本人の美徳」、「武士道」をここまで描けたのは、渡辺謙という俳優の存在が相当大きい。映画の時代設定の頃に、いくら末裔とはいえ、あのような真の通ったサムライがいたかは、はなはだ疑問であるが。。。
 サムライという意味では、やはり渡辺謙は適役であったし、彼がそれを表現しうる媒体であったとでも言える。いつぞやの「独眼流政宗」を彷彿とさせる武士道であった。。ただ、、、その美徳と、英語の対話による、「敵を知るという行動」がどうかな、という気がした。


 今まで一度も主人公のトムクルーズの話をしていないが、やはり最初から最後まで、彼はハリウッドの俳優なのだな、と感じた。
 それが顕著に表れたのがラストシーンであろう。
 あれだけ武士道というものを学び、悟りを開いたかのように闘っていた。しかし、負けて唯一生き残ったにもかかわらず、村へと帰っていく。それも女性のところにである。しかも、それをなぜ小雪は笑顔で迎えるのだ??

 ハリウッドはどうしても「ハッピーエンド」を好むのであろうか??


う〜。。。なにかまだ書き足りたいことがある気がする。。。(^^;)