喜怒哀楽の源は「アイデンティティー」である

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私は、

パニック障害という病気を患うまで。

妻と出会うまで。

妻と結婚するまで。

『喜怒哀楽』という、人間が当たり前に持っている、
自己の感情表現極端に薄かったように思います。


それは、それまでの私の「生き方」にも起因します


それまでの私は、「自分に背負うものが何もない、責任もない」
という、ある意味、「自由である」という世界にいました。

自分のためだけに判断すればそれで済んでいたのです。


人の顔色をうかがい、察し、
自分を楽な方へ楽な方へと逃れていました

それは世の中の流れに身を任せておいた方が、楽だからです。

仮に困難な事柄がふりかかってきても、
それを自分の中に取り込んでしまい、自己表現もせず
それをあたかも「自分で解決した」かのように、振る舞ってきました。

だから、何も感じません。

ストレスとしてため込んでしまったかもしれない、のにです。

そのころに感情として表現していたものは、
単なる表面だけのものに過ぎなかったのかもしれません。


大学生になり、私は
「自分というものはなんなのか?」
ということに執着し始めました。

それは俗に言う『アイデンティティー(Identity)』です。

しかし学生時代は、
『「アイデンティティー」とは「豊富な知識である」』
勘違いをしていました。

いくら知識を自分に取り込んでも、
満足いくものは得られませんでした。

「知識はアイデンティティーではない」、ということに気がつきました。

それから、また自分探しが始まりました。

「自分」というものを探し求め、今でも探し続けています。

だから、、私にはまだ、「確固たる自分」というものを
持てている自信がありません。




私は2ヶ月前、愛する妻結婚をしました

私と妻は、つきあっている頃から、ふたり様々な話をしてきました。
いや、「語り合った」と言った方が正しいでしょうか。
他のカップルよりは数倍も「会話」をしてきたように思います。

それは自負でもあります。


今でこそ言えるのですが、つき合い初めて、たった2ヶ月で結婚を決意したのは、
それだけふたりで真剣に語り合ったからに他なりません。


妻といろいろな喜怒哀楽を共にし、
そのたびに自分が変化してきたのがわかりました。

初めて、

自分の『アイデンティティー』が育まれてきている

のをひしひしと実感できるようになったのです。


ところが、

妻と、喜怒哀楽、特に「喜・怒・哀」を伴った会話をした後に、
疲れともとれない、

「脱力感」を感じるようになりました。

腰が抜けてしまったこともあります。。。

その時初めて、

自分自身というものを根底にして表現する

その行為に、ものすごく「パワー」が必要だ、ということを知りました。

本当の自己表現は、自分の確固たるアイデンティティーがあってこそ、
表現しうるものではないか

と感じました。

まだ脱力感などにさいなまれてしまう、というのは、
私のアイデンティティーに、
まだそれだけの自己表現をするパワーがないからだと私は感じています。


本当の「喜び」

本当の「怒り」

本当の「哀しみ」

本当の「楽しむ」


すべての感情を、アイデンティティーを源として
「しっかりと」表現し、まっすぐに解放できるよう、
自分はまだまだ成長していかなければならないなと考えています。


私は、妻と共に生きていけば
それは自ずと得られるのではないか、とも感じています。

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