映画「スカイ・クロラ」の感想

映画、「スカイ・クロラ」を見てきました。

今回、この映画は監督が「押井守」ということで、私自身かなり期待を持って映画館に足を運びました。公開してから間もないと言うこともあって、映画館はほとんど満席状態。そんなに人は来ないであろうと、高をくくって遅めに行ったので、結構前の方の席に座らされてしまった。。。同伴は、前回の記事で書いたように、すでに非オタ系とは言い難い、うちの嫁(笑)

まず、この映画を見て、ものすごく映像のクオリティーが上がってきているのだなと感じました。イノセンスの時にも度肝を抜かされましたが、今回もすごい。とくに、戦闘機のドッグファイトの部分は圧巻です。セル画とCGとのマッチングも気持ちよかったです。

まず、全体を通して感じたことは、押井守作品にしては、以外と説明が多く、わかりやすかったかなという感触です。説明が多いというのは、作品のテーマ性的なところを説明しているセリフが多かったという意味で、押井守特有の長尺セリフは比較的少なく、極限までそぎ落とされているのだなと感じました。

さて、私がこの映画をどういう風に見たのかというのをちょっとばかし語ってみたいと思います。

この映画の設定等を交えて話を進めていきたいと思います。

この映画の主人公たちは「子供」であり、「キルドレ」と呼ばれ、その「子供」たちは大人になることができません。そして、その「キルドレ」たちは皆、死んでもまた別の肉体?となってよみがえり、永遠に戦闘機に乗って戦争をしています。その戦争は、「大人」が戦争というものとの対比として「平和」というものを実感するために作り出している、いわばショーゲームなのです。そのショーゲームのために「キルドレ」は作り出され、そして永久的に戦争をしているのです。

キルドレは、戦死するか、戦争をし続けるかしか未来はありません。先述の話と矛盾するかもしれませんが、戦死をしても結局は違う肉体となってまた戦場に現れることになるのですが、今現在を生きている「キルドレ」にとっては、戦死するまで永遠に戦争をしていなければならないと言うことです。長い時間でものごとを見れば、結局、キルドレ=永遠に戦争を続ける存在、と言うことになります。

この物語の本題はどこなのでしょうか、といえば、それはただ生きている目的が戦争をし続けているというだけの存在である子供の、喪失感、不安感、つまりは「自分は何のために生きているのだろう」ということだと思います。

これは、現実社会に生きる子供の生き方に対するアンチテーゼということでしょうか。

この戦争や紛争もないこの日本、そして不況という波に乗せられて将来に不安を感じている現代っ子。そして、情報過多になった現代、人とのコミュニケーションを避けるあまり、自らの力で前へ進むことができなくなった子供達。そんな子供たちを投影しているのではないでしょうか?

この物語の登場人物はみな、自分の記憶が曖昧です。そして、自分(キルドレ)とは何なのかということをほとんど知りません。それは、戦争をするという最低限の情報しか創造主である「大人」から与えられていないからでしょう。中には、自分の存在は何なのか?、自分はなんで戦争をしているのか?なんで大人にならないのをを疑問に思っているものもいます。しかし、そのように自分について問いかけられる人間はごく少数の子供だけです。
現代社会でも同様のことが言えます。自分は何のために生き、そして自分は将来何者になるのか、そして将来のビジョンを持っている人はごく少数ではないでしょうか?自分は何のために今を生き、そしてどういう存在になるべきかを考えることができる人は、まだ救われるのではないか。
逆を返せば、それを考えなければ楽に生きることができます。何も考えなければ楽なのは当然です。
この映画の登場人物でもいるように、自分の存在意義というものに問いかけている人は必ず苦悩しています。これは現実社会でも同じで、自分の存在意義を考えれば、必ず他人との対比を感じるはずであり、他人とともに生きなければ自分を確認できません。そして、他人が居ると言うことは、それだけで苦悩の種になることは確かなのです。

この物語では、どちらの生き方(何も考えないで生きることと苦悩しながらでも他人と関わり合うこと)が正しいかは答えが出ていません。しかし私は、永遠に苦悩し続けるキルドレであっても、自分の力で物事を動かし、そして死という代償が待っていようとも、他人と関わり合い、苦悩しながらも前に進むことが正しい生き方なのではないか、と思います。映画の最後で、主人公が ”ティーチャー” に無謀にも挑んで行き、そして死んでいった、というのは、結局のところそういう意味ではないかと考えています。

もう一つ、この映画を見て感じたことは、「大人」という存在はものすごく生臭い存在であると言うことです。先にも述べましたが、キルドレという存在を生み出し、平和というものを実感したいあまりに、なんの解決も生み出さない戦争というものを続けさせる、それが大人なのです。この映画はほとんどが子供主観で描かれていますが、子供は苦悩しているにもかかわらず、大人はなにも助言をしてくれません。もっと言えば、キルドレとは何なのかを説明してくれるわけでもありません。子供は戦争を続けることがごく当然のように思っているはずです。
なぜ平和という実感がほしい代償が戦争なのでしょうか?おそらく、キルドレじゃない普通に大人になっていく子供も居ると思われますが、キルドレという特殊な存在に、自分たちのエゴを任せているだけなのではないでしょうか?
自分に対して模索している子供やなにも考えていない子供に対して、大人は身勝手であり、エゴイストなだけの存在にしか写っていません。
これは現代社会の世界構造や日本という自国家でも当てはまることではないでしょうか。子供から見れば、大人はただのエゴイストの集団にしかうつっていないのではないか、と。戦争しかり、世界経済しかり、格差社会しかり。大人のエゴが作り出した状態にすぎないのではないかと思いました。

あとは、この映画の細かい部分の感想です。

まずは、戦闘機のリアリティーです。ドッグファイトの部分はいいと思うのですが、離発着の時の、なんといいましょうか、質量感とでもいいましょうか。ちょっとリアリティーがないな、と。

他に、登場人物の質感です。たぶんこれは意図的にこういう絵になったと思うのですが、背景やCGなど絵作りに比べて、登場人物はかなり質感をなくして作ってあります。特に子供は大人に比べて多少質感がないように思いました。これは「子供」というものの存在そのものが希薄だからなのでしょうか?そういうねらいからですかね?

あとこれは余談ですが。。。映画を見ているときにあったおもしろい話。

この映画は、最後のスタッフロールの後に、とあるエンディングが用意されているのです。
(スタッフロールで帰らないようにね(笑))
そのスタッフロールの後のエンディングで、滑走路に飛行機がやってくるというシーンがあるのですが、そのシーンが出た瞬間に、私の左後ろあたりの人が結構大きな声で、

「あ、帰ってきたんだ!」

と叫びました。。。。(会場内はシーン・・・・)

おい!!!おまえ!!!、この2時間なにを見てたんだ!!!

と叫びたくなりました。

そのことを映画が終わって、嫁に話すと嫁もそれを覚えていたらしく、大爆笑(笑)

ま、なぜあの観客がそう言ったのが大爆笑なのかは見た人じゃないとわからないと思いますが(^^;)。。。


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