プロフェッショナルであること

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 ちょっと友人のブログのエントリーに触発されて、私もちょっと語ってみたいと思います。

 私のプロフェッショナルというものへの見解はちょっと違います。まぁ、こんな概念的なものは人それぞれで違っていて当たり前ですが、私個人の意見を述べたいと思います。

 ざっくりいうと、「プロ」=「お金をもらっている」という図式になりますよね。

 まぁそれでも間違いではないような気がしますが、、、、

 プロフェッショナルというものは、それそのものが存在するわけではないと考えます。


 つまりは、自意識の問題だと思います。


 いくらある事柄を40年、50年続けていたとしても、それをやり続けている人が、自分はプロフェッショナルであると思わなければ、プロフェッショナルとは言えないのではないかと。
 


 しかしそこには脈々と技術が蓄積され、第3者からみれば、すさまじいプロフェッショナルだと思われる人もいるでしょう。
 しかし、その人自身が、自分の技術は成熟していない、まだ自分が目指している到達点に達していないと感じれば、その人自身から見れば「自分はまだまだだ」と思うはずです。

 ここでちょっと目線を変えて考えると、「プロ意識を持て」という言葉があります。
 なぜこの言葉が必要なのかというと、自分が行動したことにより、他人にそれが波及するからです。もちろんそれはお金の面もしかり、メンタルな面、組織的な側面といろいろな波及の仕方があります。


 人間の一つの行動は、その人一人だけで完結するモノは何一つないと思っています。
 

 自分が起こした行動で誰かが幸せになるとしたら、その行動を中途半端にできますか?

 自分が起こした行動で誰かが不幸せになるとしたら、その行動に責任を持てますか?



 その自分の行動が、まだ中途半端だと感じることが出来ることこそ、プロフェッショナルへの路ではないかと私は思います。それを感じ続けることが出来るのであれば、人は誰でもプロフェッショナルというものへ到達できるのではないかと。
 そして、ある一定の到達点を超えると、その人から発せられる言葉は、プロフェッショナルとしての「言霊」になることでしょう。それは、ある特定のスキルに対しても言えることですが、人生そのものへも言えることです。長いようで短い人生で、いろんな経験をし、挫折をし、またそこからはい上がって自分をつかむ。そこから得られるものを幾度と無く吸収していく。するとその人から発せられる言葉は、至極の単語となって私たちに伝わってきます。分野が違っていても、プロフェッショナルとプロフェッショナルの間には、なにか共通の到達地点があり、そのふたりの間にはその共通項で崇高な会話が出来るのです。


 私は会社に入社して、まだ10年です。未だに自分がやっていることがプロフェッショナルだな、と思って仕事を出来たことがありません。しかし、自分の仕事が他人に、いやもっと広い範囲に波及することを考えると、自分はプロフェッショナルにならなければならないという絶え間ない向上心が必要だと感じます。
 その向上心や探求心、些細なことへの洞察力をいつまでも持ち続けることが大切なのだと。


 たぶん私は、自分はプロフェッショナルであると自分で自分を思うことは一生無いと思います。それは、自分の仕事や行動に、いつまで経っても満足いかないからです。まだこれ以上のことができる、まだ手抜かりがあったのではないか?まだ見えていない部分があったのではないか?と思うからです。
 死ぬころには、なにかの到達地点が目前にある、という状況でいたいものです。